蟹工船で働く人たちのお陰で
カニが食べられるんです【北加伊堂】


蟹工船
製 作/1953年・現代ぷろだくしょん
監 督/山村 聰
原 作/小林多喜二
出 演/山村聰・森雅之・日高澄子・中原早苗・河野秋武
モノクロ 110分 TAPE=大映

奇しくも14年ぶり、戦後初の蟹工船が函館港を出港したときにロケ入りし、
地元の人たちの熱い協力で群衆描写に成功

 1953(昭和28)年4月8日の正午、14年ぶりに復活した蟹(かに)工船・東慶丸(5,000トン)がベーリング海のアラスカ・ブリストル湾に向けて出港しました。船内には大規模な缶詰製造場が整備されています。2列にコンベアが配備されたシーマー(真空巻き締め機)と、クリンチャー(仮巻き締め機)があり、スイッチを入れると数本のベルトが動き始めて、水揚げされて運び込まれたカニをたちまち缶詰めにし、メイド・イン・ジャパンのレッテルが貼られて船倉に積み込まれるようになっています。1日20トンの飲料水を作る海水ろ過機、1時間に一石三斗の大豆を処理する豆腐製造機、手術室もある診療室、清潔な船員や作業員のベッドルーム、食堂、浴室が整ったこの船は、小説『蟹工船』の船とは比べるべくもありません。(当時の『北海道新聞』から)

 この新鋭蟹工船が出港するとき、じつは山村聰さんが函館入りして出港の様子を見守っていました。山村さんは、日本のプロレタリア文学の金字塔である小林多喜二原作『蟹工船』を独立プロ作品として初演出するため、函館入りしてロケハンをしていたのです。そして、船上での操業シーンを、東慶丸にカメラマンが乗り込んで実写したのです。

 小説は、1926(大正15)年に実際に起こった蟹工船・博愛丸事件をモデルにしたものです。日本のカニ缶詰製造は1881(明治14)年から始まり、輸出商品として根室や宗谷、国後島や択捉島の中小工場で盛んに製造されました。そして、1920(大正9)年には洋上でのカニ缶製造に成功し、漁場を北洋海域へと伸ばし生産を拡大していったのです。

 しかし、作業員の船内労働の多くは想像を絶するほど過酷をきわめ、地獄船と呼ばれていました。博愛丸事件では、悪鬼のような元巡査と2人の監督が漁夫をウィンチで巻き上げて火を放つという、生き地獄のような虐待が明るみに出ました。多喜二は、この事件を「資本主義侵入史の一ページ」と告発したのです。

 映画でも、坑夫や農夫、雑夫たちが乗り込んでカニ漁やカニ缶の製造に従事するのですが、冷酷な資本家や監督に強制される重労働に耐えかねて反乱を起こすのです。しかし、監督が出動を要請した帝国海軍の発砲によって容赦なく鎮圧されます。

 山村監督の群衆描写の演出が高く評価された映画です。函館ロケは、陸上と海上に分かれておこなわれました。海上場面は、折よくモデル船とほぼ同じ規模の砂金積み船の協力を得ることができました。陸上場面では、旧桟橋近くで大勢の子どもたちがエキストラとして使われましたが、俳優さんたちが「こりゃあ、食われてしまうぞ」と思わせるほど自然な動作をみせました。

 若い雑夫たちには学芸大学(現北海道教育大学函館校)の学生が大勢参加しました。一般の人たちも自分の出番を催促する人がでる有様。しかし、資金力の乏しい独立プロにとっては地元の人の協力は不可欠で、なによりも嬉しいものです。ついに、山村監督をして「蟹工船はみんなの映画である」と、言わしめたほどでした。



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